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いにしえの頃から、ここ聖地熊野を救いの地、癒しの地として沢山の人々が苦難を乗り越え、ここ熊野へたどり着きました。
当初は、貴族や皇族の間に広がった熊野信仰ですが、後の鎌倉時代には武士階級に広まり、江戸時代にはついに一般庶民にまで広まり、その参詣の様子が蟻の行列のように見えたため、「蟻の熊野詣」と言われるようにまでなります。
庶民にとって「伊勢参り」と同様に熊野詣は、生涯一度は訪れたい憧れの地であったようです。しかし、「伊勢に七度熊野に三度」...と言われるように、伊勢に比べてやはり熊野は遠い遠い地であったようです。
また、これ程までに信仰を集めた理由の一つに、言い伝えや伝説、逸話にしばしば現れる「熊野権現」の説く「浄、不浄をきらわず..」の言葉にあるのかも知れません。男女貴賤を問わず、来る者全てを救うと言う寛大さが熊野の神々の魅力であることは間違いありません。
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勝浦駅発→(志古・川湯・渡瀬・湯の峰温泉)→勝浦駅着
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出発時間
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勝浦駅発
08:30
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桟橋前バスT
08:32
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志古発
09:30
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川湯・渡瀬温泉発
09:46 09:48
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湯の峰温泉
現在経由
していません
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所要時間
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約7時間20分
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約7時間20分
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約6時間20分
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約6時間10分
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−
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運
賃
料
金
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大
人 |
8,500
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8,500
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7,400
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6,900
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−
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小
人 |
5,280
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5,280
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4,730
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4,480
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−
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食事
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いずれの出発時刻も車内にてお弁当の昼食
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コース
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勝浦駅発〜志古発〜川湯・渡瀬温泉発〜湯の峰温泉発〜熊野本宮大社〜志古(車内弁当)〜熊野速玉大社〜熊野古道大門坂〜那智の滝〜熊野那智大社〜青岸渡寺〜勝浦駅
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○勝浦駅・桟橋からご乗車、出発のお客様は予約不要です。
◎志古・川湯・渡瀬・湯の峰温泉からご乗車、出発のお客様は予約が必要です。
−現在、台風12号の影響で湯の峰温泉は経由していません。 |
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| 熊野三山めぐり特典等 |
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| 熊野交通定期観光バス「熊野三山めぐり」をご利用のお客様には、熊野那智大社参拝、青岸渡寺お参り、熊野速玉大社参拝、熊野本宮大社参拝を記念して、木札、西国一番札所のお札などをお渡しするほか、那智大社宝物殿の入館、那智の滝拝所、速玉大社宝物殿などへの入場が可能です。 |
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| 平成21年10月1日より、定期観光バス「熊野三山めぐり」及び「熊野古道大門坂と那智山めぐり」のインターネット特別割引を開始致しました。 |
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| 熊野本宮大社 |
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熊野本宮大社:主神 家都御子神(けつみこのかみ)熊野三所権現の中心で、神仏一体の本地仏、阿弥陀如来
1889年の洪水で流失を免れ、大斎原から現在の場所に移された社殿は、杉木立に囲まれた、独特の雰囲気の中にあります。
かって熊野詣での人々は、気の遠くなるような旅を経て、ここまでたどり着いたと言われています。 |

熊野本宮大社社殿 |

大しめ縄の掛かる社門 |

本宮大社拝殿 |
| 熊野本宮大社旧社、大斎原(おおゆのはら) |
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かつての熊野本宮大社があった旧社、大斎原(おおゆのはら)。現在は日本一の大鳥居が建ち、4月15日の、県無形民俗文化財「渡御祭」には、大和舞・早乙女舞・御田植舞・八撥などの神事を行い、熊野修験者による大護摩や投餅等の行事が行われます。
この日の行列に出る挑花を授かる事ができると、この1年、無病息災や、豊作を得られると言われています。 |

日本一の大鳥居 |
| 熊野速玉大社 |
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熊野速玉大社:主神 熊野速玉神(はやたまのかみ)熊野三所権現の一つで、神仏一体の本地仏、薬師如来
熊野本宮大社に詣でた人々は、熊野川を下り熊野速玉大社参拝後、熊野那智大社へと詣り、大雲取を越えて再び本宮の地へ戻り、帰路に就いたと言われています。 |

熊野速玉大社社殿 |

宝物殿 |

天然記念物「なぎの木」 |
| 熊野那智大社 |
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熊野那智大社:主神 熊野牟須美神(むすみのかみ)熊野三所権現の一つで、神仏一体の本地仏、千手観音
日本一の那智の滝はあまりにも有名で、滝は熊野那智大社別宮、飛瀧神社の御神体です。
熊野本宮大社に詣でた人々は、熊野川を下り熊野速玉大社参拝後、熊野那智大社へと詣ったと言われています。 |

熊野那智大社八社殿 |

宝物殿 |

那智大社拝殿 |
| 那智の滝 |
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日本一の名瀑那智の滝
・高さ133m
・銚子口の幅13m
・滝壺の深さは約10m
険しい那智の山には沢山の滝があり、中でも第一番がこの滝で「一の滝」と呼ばれています。
平家物語に出てくる「那智のお山の飛龍権現」と云うのは、この滝のことを指します。
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| 青岸渡寺 |
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熊野信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降で、伝承では青岸渡寺は仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したと言われています。
明治時代に神仏習合が廃されたとき、本宮大社、速玉大社では仏堂は全て廃されましたが、那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興され、西国一番札所として今も遍路の姿が絶えません。 |
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| 熊野古道大門坂 |
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かつて坂の入り口に大門があり、通行税を徴収していたことが名称の由来とされ、 坂道の両側にまるで門柱のようにそびえる夫婦杉をくぐり、九十九王子最後の一社・多富気王子を横目に、樹齢数百年の深い杉木立の中に石畳の道をたどります。坂を上りきったところは、熊野那智大社と青岸渡寺があり、那智の滝へも続きます。
「苔生した色の古道」とも言われ、熊野古道の中でも非常に保存状態のよい古道の一つです。 |
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